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Dr.高瀬の“がんばれ、若手諸君!”

開業医として臨床に駆け回る中、人脈を活かし医療活動を展開する高瀬義昌先生から若手医師へのメッセージ

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高瀬義昌

高瀬義昌
たかせクリニック 院長
日米医学医療交流財団 常務理事

1956年神戸市生まれ。私の中学の頃亡くなった母方の祖父は京都大学産婦人科出身。随分昔のことですが、倉敷紡績の故・大原孫三郎会長に縁がありヨーロッパの病院をみてまわり倉敷中央病院の創設に加わったと聞いています。故・大原孫三郎氏には美術工芸につい教えていただいたと聞いています。その後祖父は(といっても戦前のことですが)神戸で自費診療のみの開業し随分流行ったそうです。父方の祖父は自動車・タイヤ関係の事業をしていたそうで、今にして思えばこの二人が私の中で様々なシチュエイションで融合しているように感じます。こういうのをエニシというのでしょうね。

6歳ごろ父の転職により東京にでてきました。東京の多摩地区にある町田・日野に住まいました。野をかけ山に登り自然にあふれた恵まれた環境の中で自然科学の面白さやいたわりあう人間関係を学んだような気がします。特に日野市では「近藤さん」「土方君」という名前の級友がおり、とても大きな農家の出身でしたがとても品のある交際ができたと思います。歴史を学んだからわかったのですが「新撰組」のお
国柄。なんせ苗字帯刀が許されたお百姓さんの子孫ですから品がよかったわけですね。

母親が何を思ったのかどこからか神戸の灘高と東京の麻布高が姉妹高だと聞きつけて麻布中学を受験し首尾よく合格できたわけです。初めのころは「あざぶ」と読めず「あさぬの」と読んでいました。そんな遠くの日野から麻布までの通学は大変でしたが、その頃の話は私が監修した「医療を変えるのは誰か?」はる書房刊に書きました。

亀田省吾・信介の双子の兄弟、ケアネット社長の詫摩氏も同期というわけです。その後は早稲田大学中退、駿台予備校、信州大学というお決まりのコースです。父が中皮腫で急逝したりしました。卒業後母の近くにいなければということで東京に舞い戻りました。慶応大学精神科入局をことわられたりしましたが、結局東京医科歯科大学麻酔科に入局が決まっていました。ところが、教授が逮捕されていけなくなり獨協大学越谷病院麻酔科の立ち上げにかかわり3年間とてもよい経験をしました。体調も崩し、心療内科的な仕事に興味をもち縁があって佼成病院小児科の木下敏子先生に手ほどきをうけました。故・草川三治東京女子医大小児科教授に同じ神戸出身ということもあり大変かわいがっていただき、牛久愛和総合病院の立ち上げの命を受け、また日米医学医療交流財団のお手伝いをすることになりました。決まった後草川先生が急逝されたりというアクシデントがありましたが特に財団の未来の名医を作るプロジェクトは大変やりがいがある仕事ですので、この仕事を与えてくださった草川先生他多くの先生方に感謝しています。

その後、小病院の雇われ院長職や日本で最大級の総合外来と在宅診療のクリニックである増田クリニック(東京・足立区)のスーパーサブ兼分院院長として研鑽させていただき昨年8月東京・大田区に在宅専門クリニックを開業しました。前厚生労働省介護保険振興課長・香取照幸氏と中学高校大学時代に親交があったのも影響いています。というわけで苦労といえば苦労していますが常に自分を時代のフロントラインにたたせる努力はしているつもりです。もちろんいつもいつも肩をはっているのは窮屈なので時に楽しい話をおりまぜてご報告していきたいと思います。

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